広島の街をこれからも走り続けて欲しい。被爆電車特別運行プロジェクトに参加しました

昭和20年当時の色を再現した被爆電車

皆さんお疲れ様です。よんです。

暑い日が続いています。溶けそうです。皆さんいかがお過ごしでしょうか。

先日、7/29(土)にRCC×広島電鉄が主催する「被爆電車運行プロジェクト」に参加してきました。

被爆電車特別運行プロジェクトとは?

被爆電車特別運行プロジェクトポスター

被爆電車特別運行プロジェクトとは、RCC(中国放送)と広島電鉄が、被爆から70年の節目に行った共同事業です。

70年前の被爆の惨禍、そして、広島の街が、いかに復興を成し遂げたかを、70年前のあの日に走った電車に乗って、知ってもらうために、このプロジェクトは実施されたそうです。

広島はもちろん、国内外の人々に体験してもらい、未来の世代へ伝えることを目的としています。

2015年にこのプロジェクトが開始され、「日本鉄道賞」特別賞を受賞されました。

走り続けることは、伝え続けることだから。」というキャッチがとても素敵ですね。被爆電車だからこそ、この言葉に意味があると思います。

特別運行プロジェクトは申込&抽選

被爆電車特別運行プロジェクト当選通知ハガキ

このプロジェクトは、期間中ずっと行われているというものではなく、運行日時が決まっており、さらに7月上旬にホームページから申し込みを行い、その抽選結果により参加の可否が決まるというものなので、行けば乗れるというものではありません。

私もこのプロジェクトを昨年ごろから知って、乗ってみたいなと思っていました。

また、今年から長男が小学生(※未就学児は乗れないそうです)になり、「夏休みの思い出」+「絵日記の宿題」+「平和学習」、さらに「電車大好きっ子」という、息子にとってもいいことだらけのイベント、ということから応募してみようと思いました。当たればいいなーと思っていましたが、見事当選しました。

応募総数はけっこうな数あったそうなのですが、よく当たったな…しかも第一候補に選んだ初日の一番最初の便です。

 

広島駅南口に着くと、広電の乗り場あたりにプロジェクトのプラカードを持った駅員さんがいらっしゃいました。

被爆電車特別運行プロジェクトの広島駅乗り場

カ、カメラがいる…よく考えたら広島電鉄同様にRCCも主催ですからそりゃいますよね。とりあえず駅員さんにハガキを渡して、料金を払い(大人500円/小人200円)、順番のゲストカードをいただきました。惜しい…1番じゃなかった。

被爆電車特別運行プロジェクト2番をゲットした息子 被爆電車特別運行プロジェクトの3番をゲットしたよん

出発は10時30分ですが、初日はセレモニーがあるそうなので10時10分には集合する旨を伝えられて、そそくさと離れようとすると、

RCC: すいません。インタビューいいですか?

よん: え!?…あー…はい。

というわけでインタビューを受けることに。
まさかの全国ニュース中国新聞に私たち載りました。テレビでも放送されたそうです。気になる方は見てみて下さい。

原爆当時(昭和20年)はグレーとブルーのツートンカラー

昭和20年当時の色を再現した被爆電車

ついに来ました!被爆電車653号です。

今までの被爆電車(Wikiより)

広島にお住まいの方は被爆電車と言えば、こちらの色のほうがピンと来るのではないでしょうか?→

淡いクリーム色にグリーンのツートンカラーです。ちなみにこちらの被爆電車は今も朝、夕方のラッシュ時間には広島の街を走っているんですよ。

上のグレーとブルーのカラーリングは、このプロジェクトが始まった時に、原爆当時(昭和20年頃)の色を再現されたそうです。

なぜ、今までこの色ではなかったのかというと、原爆の影響により、当時の資料がほとんどなくなってしまったからということでした。

当時はもちろんカラー写真などはなく、残っていてもモノクロ写真ばかりだったようです。

そこで、当時を知る人の証言や、車体のペイントを削ってみたところ、青色の塗装跡が見つかったそうです。それらを元に、見事に当時の色を再現されました。

被爆電車いよいよ出発!

被爆電車特別運行プロジェクト2017セレモニー

いよいよ被爆電車に乗り込みます

セレモニーが始まり、広島電鉄とRCCの代表の方からあいさつが行われ、その後に参加者全員で記念撮影をして、いよいよ被爆電車に乗り込みます。

息子もワクワクしながら乗り込みました。

中は、思っていた以上にキレイでした。新車?と思えるほどです。さすがは現役で動いているだけあります。

床や窓枠が木でできているのがなんとも昭和のレトロな雰囲気を醸し出しています。

 

以外と中はキレイな被爆電車

運転席は今と全然違いますね。見た感じとてもシンプルです。

被爆電車のレトロな運転手台

そして、車内には大型のテレビが4台ほど設置されていました。走行中はこのテレビに当時の原爆後の様子や広島電鉄の復旧の様子、カラーリングの再現や、当時を知る方々の話が映っていました。

原爆についての映像が流れるテレビ

原爆投下の3日後に生き残った車輌を復旧し、一部区間で復活を遂げ、広島の人々の希望となった話は有名ですね。もはや伝説です。その下りも映っていましたよ。

映像を見ながら息子にも、昔はこうだったんよ、このあたり一帯が原爆で全部吹き飛んで何もなくなってしもうたんよ。と、説明しました。ちょうど原爆ドームに差し掛かり、あれはその時のことを忘れんように、そのままの形で残されとるんよ、と。

被爆電車から原爆ドームを望む

息子も興味深く映像を見ながら話を聞いてくれました。原爆や戦争がどれだけ悲惨だったかは理解してくれたようです。そして、その時に被爆したこの電車が、今も走っているというすごさも実感してくれたことでしょう。

被爆電車は広島駅から紙屋町→原爆ドーム前を過ぎて西広島駅まで走行し、ここで一度休憩を取って、Uターンして原爆ドーム前へ戻ります。

西広島駅でUターンする被爆電車653号

被爆電車の先頭で運転席を見ながら

最初は一番後部座席に乗っていたのですが、Uターンした際に一番前になりました。

一番前の席で運転手さんを見ながら電車の走行を楽しむ息子→

 

原爆ドーム前で被爆電車を下車

トータルで約1時間ほどの乗車時間でしたが、私も息子もよい体験ができました。

冒頭にありました、「走り続けることは、伝え続けることだから。」というフレーズ。とても重要なことだと思います。当時を実際に体験された人も少なくなって来ており、語り継ぐということが難しくなってきている中、この被爆電車が広島の街を走り続けることで、当時を想い起こし、伝え続けていくことができると、そうあって欲しいと願います。

これからもずっと走り続けて欲しいですね。

 

余談ですが、息子の宿題である絵日記は無事に完成しました。